54.商店街はなぜさびれたのか?⑯「在庫も眠る寝具店」(1988年当時)
こんにちは。
戦後の著しい経済発展と共に、日本各地の商店街もまた活発に発展していきました。
やがて、活発に発展を続けてきた各地の商店街が停滞ないしは衰退を見せ始め、生き残りをかけて懸命に頑張る少しの商店街と、シャッター化を余儀なくされた多くの商店街に二分されていきました。
二分されたとはいえ、大部分の商店街がシャッター化したのですから、商店街のシャッター化の最大要因は明確に分かるはずです。
そしてそれが分かれば、シャッター化した商店街とは真逆の要因が、商店街を繁栄させるための唯一の要因であることも同時にわかるはずです。
さて、その要因というのは、間違いなく「通行量の減少」です。
商店街だけではなく、百貨店や総合スーパーやショッピングセンターの場合も、撤退を余儀なくされた要因は全て「通行量の減少」した立地なのです。
百貨店や総合スーパーやショッピングセンターは、通行量が減少すれば直ちに撤退が可能ですが、商店街は静かにシャッター化を受け入れざるを得ない商業集積なのです。
さて今回は、気軽に立ち寄って商品を眺めること等は、ほとんどできなくなってしまった、1988年当時の商店街の寝具店の様子をご紹介します。
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54.商店街はなぜさびれたのか?⑯「在庫も眠る寝具店」(1988年当時)
次のイラストは、1988年当時の各地の商店街でよく見られた寝具店の様子です。
そしてこの店の構造は、「店員空間のない、引き込み・回遊型店」です。
商店街にある大抵の寝具店は、店内の回遊通路にまで商品がうず高く積まれているために、客は自由に商品を検討することはできませんでした。
したがって、どうしても商品を必要とする客は、店の奥の住まいにいる店主に声をかけて、店主と一緒になって商品を検討しながら購入するしか方法がありませんでした。
総合スーパーや寝具専門店が進出して来たリ、イベント販売などが盛んに行われたりすることによって、客が寝具を気軽に眺めたり検討したりできる機会は大幅に増えていきました。
そうなることによって、人通りの少なくなった商店街の寝具店は、よりいっそう気軽に立ち寄ってひやかすことができない「なわばり」主張の強い店になっていったのです。
(なお、イラストは1988年の拙著「続・入りやすい店売れる店・日本経済新聞社」からの抜粋です)
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